3つの留学

最近、日本の大学が「グローバル人材」を育成するための活動を活発化しているように見えます。 一つの流れとして、学生に海外留学を義務づけるプログラムを持つ大学も増えてきました。私大では以前から導入している学校も多く、大抵は半年から1年という短期留学です。 一橋大学も、学生に数週間の留学を義務づけるそうです。(これはちょっと短いですが) たしかに、日本の大学生という安定した「基地」を基盤に、異文化にふれるのは、学生にとってリスクが低く、英語力や視野を広げられる効率的な仕組みです。 学生にとってのハードルは低いため、今後も多くの日本の大学が取り入れていくと思われます。 しかし、こういった「低リスク」の留学は、「グローバル人材育成」に、いったいどれくらいの意味があるのでしょうか。 これらはいわば、お仕着せの「交換留学」「エスカレーター留学」であり、ある程度の単位を取ればよいという、お楽しみ留学にすぎないこともまた、事実です。 留学とは、本来ぼんやりした言葉ですので、 分解して考えてみると、「留学」が見えてきます。 私は3種類の留学をしたことがあります。いずれも大学のプログラムではなく、自分で勝手にきめて、自分で準備した留学です。 1つは、1ヶ月の短期後学留学。大学2年のとき、イギリスのノリッジにある語学学校に留学しました。ストレスのない、楽しい語学留学です。 日本の大学がうりにする「プログラムに海外留学を組み込んでいます」というものも、実情はこの語学留学と大差はありません。 2つめは、1年の交換留学。大学の派遣留学選考試験を受け、奨学金を受けてウズベキスタンのタシケント国立東洋学大学に留学しました。一応、ロシア語で幾つか単位を取らなければなりませんでしたが、別に現地の大学を卒業しなければならない訳ではないため、ちょっと努力すれば単位はとれました。これも比較的楽しい留学でした。 3つ目は、MBA留学です。 学位を目的とする留学は、上記2つの留学とは全く異なる性質です。まず覚悟がちがいます。仕事をやめて、妻をつれて貯金を切り崩しながらの留学ですので、死にものぐるいで勉強しました。失敗したらと考えるだけで、空恐ろしいような留学です。 私はたくさん転職活動しましたが、当然といえば当然ですが、3つ目の留学を、企業の人事担当は「ガチ留学」として評価します。英語力だけではない、勇気や度胸、挑戦意欲が透けて見えるからです。 2つの中央アジアへの留学も、「こいつ相当かわっているな」と奇異な目でみられますが、これは話のネタ程度かもしれません。 「リスクをとって、ビジネスを起こす、海外で勝負する」人材の獲得が急務な日本企業にとって、学生の「留学経験」をじっくり見極めようとする流れは、今後も高まっていくはずです。 単に大学のプログラムに組み込まれた留学を経験するだけでは、就職活動にはそれほどプラスにはならない。まして、それで「グローバル人材」が育つわけでもありません。 大学の留学プログラムなど、誰かに敷かれたレールの上では、「海外留学しました!」といっても、本当の勝負をしたことにはならないのです。 仕事を前にすすめるには、最後はその人の「気迫」であり、「気力」が問われます。相手が日本人でも外人でも、場所が日本でも海外でも、かわりません。 もし留学をグローバル人材育成とむずびつけるのならば、気迫や気力が試されるような「覚悟ある留学」に、多くの日本人が挑戦することで、結局はグローバル人材が育っていくのではないでしょうか。

”荒野を目指す精神”が、明日を拓く

MBA留学中に英国で知り合った、トルコ系ドイツ人が日本に留学していることは以前書きました。 http://learningshelf.net/2014/04/29/トルコ系ドイツ人のハングリーさ/ 日本には交換留学生として留学し、約半年間香川大学で授業を受けています。 その後、インターンシップ先を探して1年程度働くようなのですが、その条件が結構厳しいのです。 母校のドイツの大学からは、「自己開拓でインターンシップを見つけ出すこと」を要求されていて、先日会ったときは「どうやってインターンシップ先を見つけたらいいのだろう」と悩んでいました。見つからなければ、半年で帰国とのこと、必死そうでした。 「ドイツ語とトルコ語のネイティブで、英語も出来るんだから、海外進出したがっている日本企業にアプローチしたらきっとみつかるよ」と励ましましたが、内心は果たしてどうだろうかと心配していました。 そして先日、彼女から 「日本でインターン先が決まり、9月から働き始めることになった!」と妻に連絡があったのです。 どうやら手を尽くしてインターン先を探し、今回の留学を自力で「日本留学+インターンシップ経験」にバージョンアップさせたようなのです。 私はこの話を聞いて、大いに喜ぶとともに、彼女のチャレンジ精神にはほとほと関心させられました。 そもそもトルコ系ドイツ人であり、イスラム教徒でもある彼女にとって、日本はまさに異文化の国。そこに単身渡り、苦労を買って出ている。そして手探りでインターン先を探し当て、職務経験を積もうとしている。 誰かが踏み固めた道ではなく、独力で道を切り開こうとしているのです。 既に敷かれた就職活動のレールにのり、皆といっしょになって内定獲得競争に励む日本の大学生とは、極めて異質なアプローチです。 どちらが良いか悪いかではなく、どちらが人間の生き方として本質的であるのか。どちらが生きる実感を感じ、後悔がないのだろうか。ちょっとかんがえさせられてしまします。 私には、そんな彼女が、”笑顔を絶やさず、前向きに、荒野を目指して歩き続けている”ように見えました。 インターンはうまく行かないかもしれない。 留学もいい事ばかりではないかもしれない。 しかし、彼女は自分で決めた道を、自分の力で歩いている。 目先の損得勘定など関係なく、大きな自分の夢、志を掲げて、歩みをすすめているのです。 こうした、リスクを取ること、「荒野を目指す精神」は、必ず明日を拓くはず。 我々も、いくつになっても、「青年は荒野を目指せ」とばかりに、挑戦をつづけたいものだと思わされました。

外資系企業と日系企業の両方を経験してわかった、「攻めの経理」への意識の違い

日本国内の市場が縮小する中、日本企業は海外展開を余儀なくされています。 海外で稼げるグローバル企業への早期に脱皮できた企業もあれば、ひたすら赤字を垂れ流してもがき苦しむ企業もあります。 いったいどこにその差があるのでしょうか。 ビジネスモデルの選択、マーケティング戦略、営業力、グローバル人材・・・様々な要素が考えられそうです。 しかし、私はあえて、「管理会計に強い経理ファイナンス部門を抱えている会社は、海外展開に早期に成功する」と思います。 それはなぜでしょうか。 それは、管理会計が「攻めの経理」だからです。 「攻めの経理」とはどういうことかというと、とにかく経営者に近いのです。経営者の意思決定を左右する計数データをあつかうため、とにかく、精神的にも肉体的にもハードなのです。 またビジネスを経営者の意向にそいつつも、会計的に問題がない形でビジネスを前に進めるよう、予算管理の視点から現場へコミュニケーションを取る必要があり、これも非常にタフな作業です。経費使用の促進やストップ、新たな投資案件の検討など、様々な思惑が錯綜するため、管理会計はしばしば戦いの様相を呈します。 これが海外展開という未知の領域であればあるほど、扱うべき変数も増えます。混沌とした世界では、強いリーダーシップが求められ、それを支えるのが「攻めの経理」たる管理会計なのです。 私が外資系企業に勤務していた時、経理ファイナンス部門は70人ほどいました。その外人CFOの部屋のドアの前には、必ず管理会計部署、とくに予算管理の担当者の座席が設置されていました。「彼に聞けば、会社の数字の全てがわかる」という状態が、予算管理担当には求められるのです。 この「管理会計は攻めの経理」という発想は、外資で徹底されています。 しかし、日系企業ではそういった認識はほぼありません。 この認識の差が、企業の「攻め」の活動の典型である、海外展開の巧拙に影響していると言えます。 外資では管理会計の部署が独立して設置されることが殆どで、そこでビジネスのドライブに明確な責任とプレーシャーを与えていますが、日系企業では実態のよくわからないぼやっとした名称の「経営企画部」の中に、管理会計担当がいるのが殆どです。(ちなみに外資では、経営企画部はありません)。 ちなみに「守りの経理」の典型が、財務活計です。これはいわゆる、「会計的に正しく帳簿をつけ、利益計算し、税金まで1円の狂いもなく計算する世界です。ルールがあり、同じ事の繰り返しでもあるので、比較的のんびりできる仕事です。ミスがあっても修正仕訳すればリカバーできます。 日系企業は、この「攻めの経理」と「守りの経理」が、ごっちゃになっているのです。人数の少ない会社では、一人で両方担当しているケースもあります。両方の仕事は似て非なるもの、求められるメンタリティ自体が全く異なるのです。これでは管理がうまく行くはずはありません。 しかし外資では、小規模な企業でも、必ず財務会計担当と、管理会計担当を分けて設置します。後者のほうが、明らかに効率がいい。 日系企業は、「攻めの経理」への意識を高め、専任担当者を設置することで、変数の多い海外展開に、うまく対応できる可能性が高まるのではないかと思います。