TIMEを1週間で読み切る会

昨日、市民団体の英語講座に顔を出しました。 会の目的は、TIMEを1週間で読み切る力を身につけること。今回は体験参加でした。次回から入会する予定です。 主催者のこんな言葉から会は始まりました。「TIMEを1週間で読み切ることは、最終ゴールではなく、入り口です。」 TIMEの読み方で、参考になった点をまとめます。 1、1回目は黙読で、目的をもって読む What is the story about?What is the most important massage?この問いに英語で答えられるよう、キーワードを探しながら読む 英語で問いに答える、つまりサマリーを書く。はじめは1行でもよし。 2、1記事を黙読5回、音読5回読む 理解した構文を体にしみこませるため、黙読と音読を行う。 3、読了にかかった時間を毎回記録する。 たとえば1記事の黙読に6分かかったら、「1回目6分」とメモする。TIMEをスラスラ読めるようになることは、リスニング力向上につながる。読むことにかかる時間を記録していくことで、自分の変化に気づける。 4、わからない単語を調べる場合は、1ページ5個までとする 5、ノートを用意し、記事を貼る一冊いっきに読み切ろうとしない。まずは1週間に記事1つか2つだけでよい。 今回の会では3名の体験者、1名の継続者が参加しました。 継続されているかたは、ノートを作り、単語を調べ、こつこつと黙読音読の回数を守って、TIMEをすこしずつ読み進めているとのことでした。 英語の勉強はお金がかかりますが、TIMEを読むことを中心に据え、学習者が定期的に集まって続けるスタイルであれば、低コストで済みます。今年はリーディングはTIMEを読むこと、スピーキングは850語のベーシックイングリッシュを実践することを軸に、英語学習を続けていきます。

Men of the Year reunite after 50 years to reflect on a historic moon voyage【TIME DEC.24/31,2018】

あらすじ 1968年は世界にとって悲惨な1年であった。ベトコン、キング牧師暗殺、ソビエトのチェコ侵攻・・・そんな1年の終わり、唯一の明るいニュースが、アポロ8号の有人飛行成功。当時の宇宙飛行士3人が50年後に再開したという話。当時のThe luner programは4つの大統領任期で行われたが、そこには超党派の合意があった。それに比べると、最近の4つの大統領任期ではアメリカは共通のゴールを共有していないようだ。 感想 地元の広報誌を眺めていた時、「一週間でTIMEを読めるようになりましょう」といううたい文句を掲げる、時事英語クラスを見つけました。月2回、3000円。近所で英語学習のモチベーションを得られる場所を探していたので、まずは2019年1月から参加させてもらうことにしました。初回は見学です。 主催の方が、「TIMEはお持ちですか?」とおっしゃるので、慌てて書店で買いました。TIMEは、The Economistよりも読みやすく易しいです。しかし内容はアメリカの話題が多く、わからない記事もあります。これは背景知識の問題です。 イギリスが好きな私には、TIMEは取っつきづらい。それに比べ、The Economistのほうが硬派で、ヨーロッパを中心とした記事が多く、私にとっては興味をそそられます。なのでThe Economistを読みたいのですが、今の私の英語力、そして自由にできる時間を考えると、The Economistはちょっと消化しきれない。また一緒に読んでくれる仲間も教室もいない。そこで、2019年は時事英語サークルを利用しながら、TIMEを読む習慣をつけようかなと思います。

私も英語が話せなかった

英語の授業で、初めて外国人の先生と1対1でスピーキングテストをさせた。 生徒は、英語が話せなかった、緊張したが、もっと話せるようになりたい、勉強したい、とアンケートに書いてきた。 真摯なコメントに、私は「英語が好きだったが、苦手だった」かつての自分のことをおもいだした。 幼いころ、自宅に洋楽CDが何十枚も置いてあった。 ビートルズやカーペンターズ、オールディーズのベストヒット集を手にとっては、暇な時に聞いていた。 洋楽から興味を持ち、小学校6年ぐらいからラジオ英語を聞くようになった。遠山けんさんの英会話入門、大杉正明さんの英会話など。 英語は聞き取れないが、お二人から外国の香りを感じるのが楽しかったのを覚えている。 中学校入学前、英語を学ぶのが楽しみだった。英語で自分の思いをかけたら、話せたらどんなに楽しいだろうかと。 しかし、入学して数週間で、英語が嫌いになった。授業から外国の香りがしない。先生から外国を感じられない。文法と訳読の授業が苦しくなって行った。 日本語中心で、退屈だった。自己表現の場もなかった。ただ先生の指示を聞き、ドリルうをとくだけだった。 英語の音声を深く体に刻み込むような授業だったらよかったのに。 ラジオ英語は聞き続けたが、英語力は全く伸びなかった。英語の勉強方法など誰も教えてくれなかったし、英語ができる人も身近にいなかった。英語を使う環境もなく、憧れはあるのに苦手なまま、高校に入った。 高校では硬式野球部で甲子園を目指していたので、勉強どころではなかった。朝は7時に家を出て、帰宅は練習が終わる夜8じや9時すぎ。 それでも単語テストが毎週課されるので、通学電車内で無理やり覚えた。 高校も授業は文法と訳読で、英語を使うことはなかった。自分を自由に表現したいのに、授業で求められることはなく、また学校外での機会もなかった。 外国の香りがしない化石のような英語教師ばかりの学校で、一人だけ英語を操る女性教師がいた。I just call to say I love you を授業内で歌わせたり、茅ヶ崎英語という時事英語教材をつかった授業が新鮮だった。 英文科に進みたいなと思ったが、英語に自信が持てず、また英文科だと就職の時に苦労すると先輩に聞き、好きだった倫理の先生の影響から政治や思想系を目指すことにした。 部活を引退し、大学受験に本腰を入れると決め、その先生に英語の勉強方法を相談しに行った。先生は、英文標準問題精考をくれた。これを解いてごらんと。試験まで毎日といたが、歯が立たなかったので、易しい構文集や英文解釈の技術の本をかって勉強した。 大学受験には失敗した。英語の勉強方法gはやはり最後までわからなかった。国際政治を学びたいとおもって法学部の政治学科に進んだ。 大学にはいると、アルバイトして貯めた金で有料のtoefl講座を受講した。留学してみたいとぼんやり思ったからだが、外国人講師が英語で行う授業では、何をやっているのかわからず全くついていけなかった。今思えば、これまで英語を話したことがないのに、いきなり留学対策コースはレベルが高すぎたのだ。 自分の英語力を謙虚に見つめられず、英会話コースや参考書を買い散らかしては、ものにならない日々が続いた。 社会の教員免許を取ろうと思っていたが、大学で始めたい合気道とバイトに打ち込み、結局取得しなかった。大きな後悔の一つである。 バイト代でアジアをバックパックし、たまたま行った新疆ウイグル自治区に興味を持った。大学でウズベキスタンの大学との交換留学枠があり、ロシア語を勉強して奨学生試験に合格、50万もらって1年間留学した。英語は遠くなるばかり。 卒業して入社したのはアメリカの製薬会社。MRという営業職で地方に赴任、次にファイナンス職で本社に戻った。部門長はフランス人で、英語のできる人がどんどん出世していく。アメリカやイギリスのmbaホルダーがゴロゴロいて、uscpaたくさんもいた。 英語ができず、会議でちぢこまる日々。中国の大連に派遣され、多国籍チームに経理業務を移管するプロジェクトを任された時、言語の壁でトラブルが続いた。中国人やアイルランド人、アメリカ人を管理できないのだ。もう限界だった。英語でビジネスができるようになりたい。思いは強くなるばかり。 プロジェクトが完了すると、留学を真剣に考え始めた。入社してから、留学したいと思って、毎月15万と持ち株積立5万を続けていて、ボーナスも貯金した。株式投資も勉強して1000万円の資産ができていた。大学院留学には、2年の学費と生活費も含め1000万かかるので、お金はあった。 だが留学するには、安定した職を辞めなければならない。留学しても、その先の保証は何もない。安定した正社員からただのプータローである。また、せっかく貯めたお金を使ったら、留学後はすっからかんである。 国際的大企業で、親も喜んでくれた就職であったので、やめるのは心苦しい。新卒から就職した会社は、知らぬ間に私のアイデンティティ、つまり存在証明の一部となっていた。悩みに悩む日々。 留学したい。大学院で学びたい。しかし、失敗したら身が破滅するかもしれない。恐怖で身が震える。 そんな時、当時の彼女が言った。 「しょうらいのためには、一番危険な選択肢を選んだ方がいい」 「金はまた貯めたらいいじゃない」 「何かを捨てないと、大切なものは入ってこないから」 彼女の言葉で、腹が決まった。 この人と結婚して、イギリスに留学しようと。 父親に会社を辞めて留学すると伝えた。自分の金で挑戦してくる、と。がっかりさせてしまうと思ったが、意外なことを言った。 「大学院に留学したいという人は多いが、実際に実現させる人は少ない。人生は一度きり、二人を応援する」 物心両面の支援を受け、留学した。 大学院はMBAをとることにした。 しかし、英語力が足りない。文法訳読の教育を受け、英語が話せない、書けない。そこで、イギリスの北部の都市の大学院の準備コースに入った。 半年の間に間に英語の試験で一定の点数を取らないと、大学院に出願すらできない。ielts 7.0 当時の私は4.5.で、英語力は最低レベル。とても達成できるとは思えなかった。 大学院の修士号だけは取得して帰国しなければ、会社を辞めたことが無駄になる。これだけは達成したいという思いで、英語を街で使い続け、学校の授業で学び続けた。 学校で勧められるままに、毎月ブログに英語で日記を書いた。日本語を断ち、毎日地元の英字新聞を読み、家ではbbc放送のradio4という、日本でいう教育放送を流し続けた。妻とは英語で話すことにした。 異文化のストレス、将来への不安から喧嘩が絶えなかった。イギリスの冬は午後3時になると日が沈む。大雪の日には、心も暗く、どん底の気分になった。欧州の人が日光浴を好む理由がわかった。明るい日差しがないと、人の心は鬱々となるのだ。将来が見えず、辛い日々。 3ヶ月が過ぎてから、英語力の伸びを感じるようになった。英語を読むことに抵抗感がなくなり、英文を日本語に訳さず読めるようになってきた。 …

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