バーナムの骨

図書館に行った時、ある恐竜の本を3歳の息子が選んできた。「これ、借りる!」 借りてから、毎晩読んでと、寝る前に寝室にもってくる。文章が長いので、読み終わるのに15分以上はかかる。途中、「ティラノサウルスはどこ?」とか質問を投げかけてきたり、好きなページは「もう一回最初から読んで」という。 この本はアメリカ自然史博物館にあるティラノサウルス(T レクス)の化石発見者、バーナム・ブラウンの伝記絵本だ。 以前、国立科学博物館でキリンの骨を見せたら、それが気に入ったらしく、骨についてよく話すようになった。体験させることは大切だと感じる。

くもん式入会 3週目

息子をくもん式に入会させて、3週間が過ぎた。 はじめはスムーズに教室で学習できるか不安であったが、今のところは楽しく通っている。1年半以上、ベビーくもんを月一回続けていたので、先生に慣れていたのが大きい。 2科目なので、1日の教室学習は30分程度だ。これを週二回行っている。 今日は運筆練習のずんずん教材と、数数えや単語カードプリントをやったそうである。「数字を数えることがまだうまくできないので、自宅でも数字に意識をむけさせてください」と、毎回先生よりアドバイスを頂戴する。 「ことばのカードには、かなり食いつきます。家での読み聞かせの成果ではないでしょうか」とも言われ、読み聞かせの効果はこれからジワリと出てくるのでは、と期待している。 自宅での学習習慣をつくることは、まだできていない。仕事が忙しく、また本人も保育園の進級で疲れが出ていたりして、なかなか時間をとってプリントをする時間を作れないからである。 焦る私を、妻はたしなめる。「続けられないものには、意味がない。細々とでも、まずは教室に通わせつづけましょう。無理しても仕方ない。ことし1年は、まずは教室に通うだけでもいいと思う」という。私よりも、妻は大きく構えている。 くもん式をやらせてみて思うのは、当たり前ではあるが、やはり家庭での取り組みが重要である、という点だ。 家庭で大量の読み聞かせや、童謡の歌いかけ、CDのかけ流しなどを3年近く続けてきたのだが、こういった習慣は、大量のインプットを与えていることになる。ということは、教室学習でのアウトプット活動は、比較的スムーズにできるのだろう。 数字については、常に数字に意識を向けるよう、親が気にかけなければならないな、と最近は特に感じる。家庭での働きかけが、読み聞かせや童謡の語りかけに比べて、正直言って少なかったのだろう。 くもん式に通わず、家庭だけで鉛筆の運筆練習や数字の練習などは、3歳代から行うことは難しいかもしれない、と思う。まず教え方もわからない。自己流で教えても、悪い癖がつくだけだと思い、くもん式に通わせるまでは、意識して鉛筆を持たせなかった。いまはすこしずつ自分で書き始めている。 まだまだ試行錯誤は続く。

小学3年生から与えたい英語教育

小学生3年の姪が、大手英会話スクールに通って1年強。これまでネイティブと日本人講師の週2回、ゲームや簡単な会話をしていた。 今月から1回は文法の授業に変わるという。「be動詞ってわからない!」と、文法事項に苦戦している。 「わからなくても大丈夫。おじさんも初めはわからなかったよ。でもたくさん英語に触れると、あるときわかり始めるからね」 と励ます。 高校教員として、小学生3年生に英文法を教えることは反対はしないが、せめて楽しいコミュニケーションや英語のインプットを大量に与えてからにしてあげたい。 さもなくば、子供は英語は難しいもの、と感じて、苦手意識を持つ。嫌いになってしまう。 小学生であれば、子供にとって理解可能なインプットをたくさん与えてあげること。絵本の読み聞かせや歌、音声を伴う語彙制限された絵本を「聴きながら読む」など、とにかく触れさせたい。 そして少量の英語のアウトプットの機会を与えること。 英語などただペラペラ話せても、一歩海外に出れば、対して自分の差別化要因にはならない。 長期的に考えると、洋書を読む習慣と、流暢性を優先した楽しいスピーチなどで、プレゼン力をつけさせるほうがいい。 多読や多聴を続けて、様々な洋書を読める読む力と習慣を持っているほうが、長い目で見ると子供のためになる。本から知識を自分で更新することができるからだ。 英語圏の人全てが、読書の虫、であるわけはもちろんない。多様な専門書、高級専門紙を読む人の割合の方が少ないぐらい。私が接しているネイティヴも、対して本を読まない人が多い。 本好きで、洋書をバシバシ読める人になれれば、知識量では本を読まないネイティヴをはるかに超えることもできる。 また自分の意見を筋道立てて、情熱を持って伝えられる、パブリックスピーチのスキルを身につけることも、子供の進むことのできる世界を広げてくれる。 だから文法学習はもちろん正確な英語を話したり書くために重要だが、それと同時に英語のインプットを十分確保し、アウトプットもちょっとできる場があるといい。 みじかな子供を見て、提供すべき、提供したい英語教育が少しずつ見えてくる気がする。