「身銭を切れ」と英語教育

冷や汗をかいて、online英会話を終えた。 テキストに沿ったQ&Aでなく、話のながれで多様な問いを矢継ぎ早に質問される。言いたいことを、スパッと英語で話すことに窮する。汗をかきながら、必死に議論する。楽しい時間であった。 コミュニケーションを成立させるために、大切なことは、自分の意見を簡潔につたえること。そして、その表現は、自分で「発明した」英語ではなく、どこかで読んだり聞いたりした、「こなれた」英語であるべきだ。よく使われる単語の連結、コロケーションである。 それを瞬時につなげたり、組み替えたりすることで、英文を作っていく。プレハブ工法ともいえる英語の話し方であるが、馬鹿にできない。パーツとなるプレハブの量が蓄積し、それを自在に組み替えて発話できれば、流暢に見えるであろう。 受験英語を学ぼうが、ビジネス英語を学ぼうが、言語はコミュニケーションを度外視はできない。たとえ文法を学んでいるとしても、コミュニケーションを無視することはできない。音声を最重視すべきである。耳で聞き、読めるようなって、口に出し、書けるようになる。 英語教師が、英語を道具として使い続けることは、常に続けるべきである。その実践があって、初めて英語の指導に血が通ってくる。 『ブラックスワン』の著者である、ナシーム・ニコラス・タレブは、「身銭を切れ、身銭を切らぬ者は、他人を犠牲にし、物事を複雑にしていく」と言った。身銭を切れ、とは金を使えという意味だけでなく、リスクをとって実践せよということであろう。 英語を教える者は、リスクを取り、現実世界で英語を使え。そうでなければ、指導法はねじ曲がっていく。

うまくやろう、は馬鹿野郎

大きな環境の変化を体験し、ストレスをかんじていたのだろうか。下の歯が痛み出し、水も食事もとれない日が2日も続く。夜ものたうち回る。 慌てて歯科に駆け込むと、接触の必要ない高性能体温計で体温を測定される。コロナ感染症の影響は小さな歯科医院にもみられると驚く。歯に異常はなく、歯茎やあご付近の炎症だといわれ、抗生剤をもらう。劇的に改善する。 そういえば同じようなことが、かつてあった。大学時代、中央アジアのある国に1年間留学することを勢いで決めた。大学の派遣留学試験に合格し、50万円の奨学金と、航空代金、大学授業料、寮費が免除。ロシア語授業の特訓も付く。最高の条件であった。 だが周囲の誰しもが、「どこ?」「なんで?」「生きて帰ってこれるの?」と戸惑う。住んでみたかったのだから仕方がない。 その準備していたときのこと。当初の高揚感はうすれ、徐々に不安になっていく。なんで留学するのか、目的もぼんやりしていたので、出国が近づくにつれ不安感が増す。現在より情報もすくなく、ひょっとしたらもう戻ってこられないかも、と悲壮な覚悟だった。 3日前、上の葉が激しく痛む。怖くなり歯医者に駆け込む。もう1年以上、日本の治療はうけられない。そう焦り、慌てて神経を抜いてしまった。留学中は痛みもなかったので、それはそれでよかったかもしれない。だが、今思えば、弱気になっていたのは明らか。留学に失敗したらどうしよう。周囲から笑われる。ロシア語を習得できなければどうしよう。生活になじめなければどうしよう。マイナスに考えれば、すべてマイナスに取れる。痛みは多分にストレス性のものだっだ。 弱気とは、失敗を恐れることである。気迫のない状態である。特に不器用な人間にとって、「ものごとをうまくやろう」「失敗せずに小器用に立ち回ろう」という、いやらしいそろばん勘定をはじいているとき、知らず知らずに気迫を欠いていく。弱さが出てくる。 そんな私の弱気、いやらしさを見抜いた人が、こう言ってのけた。 「環境が変わったとき、こう問わななければならない。不器用なくせに、失敗せず、うまくやろうとしていないか。 他人の目を気にし、評価されようという厭らしさはないか。やりたいようにやって、鼻つまみ者ぐらいに思われるぐらいであれ。1,2年で追い出されるぐらいの気迫がなければいけない。 いまある環境にしがみついているようでは、だめだ。 いまの環境も、上司から評価されての結果でない、自分で好き勝手にやってきたことが外部で評価されたのが、たまたま目にとまっただけではないか。」 新しい環境に身を置いた4月、守りに入るのではなく、攻めの姿勢を持ち続けなければいけない。「うまくやろう、は馬鹿野郎。」、周囲から総すかんを受けるぐらいの気構えで、貫きたいことはあるのか。新たな環境が自分にといかけてくる。志を高く掲げていきたい。

無味乾燥な和文英訳に意味付けを

本日の学習記録。 1、英作文を50問ほど解く。 入試問題の和文英訳は好きではない。試験で、いったい何を可とし、何を不可とするのか。ネイティブ教員が採点せず日本人が採点するなら、きわめて恣意的な採点が行われているのではないか。入試にまだこんな和訳問題が存在しているのかと驚く。その意義への疑問は尽きない。 といっても問題点ばかりではない。和文英訳の学習でよいのは、構文や表現を明示的に覚えることが出来る点だろう。たとえば強調構文の項目を集中的に学ぶとき、日本文からIt was not until ~ that といった強調構文をさっと生成できれば、強調構文への理解はたしかに深まる。試験の時、ライティングで加点されるだろうし、リーディングの時も認知負荷が下がる。 問題なのは、英語の運用能力が低いのに、こうした強調構文のような表現を日本語から英語へ訳させることのハードルの高さだ。英語を使えるようになるためでなく、試験のためだけに表現を覚えさせられる。これは苦しい。英国で学んでいたとき、大学進学レベルでは、すくなくともこのような強調構文を読むことはあっても、生成することは求められなかった。 さて、今考えているのは、和文英作を、通訳学習的にとらえ、ライティング力、スピーキング力UPにつなげられないだろうか。日本語を訳しやすい日本語に転換し、そこから英語にする。一字一句訳すのでなく、英語のコロケーションを多用し、「こなれた英文」を生成する練習にしたい。 また課題なのは、入試対策の勉強を、いかに英語の運用力を高める活動につなげるかである。暗記ばかりの英語は苦行である。明示的に英語を覚えて頭に叩き込みながら、実際に使う経験を通して、「あ、あれだ」と気づく、いったりきたりする経験を学習者へ提供したいものである。 無味乾燥な和文英訳の学習に、なんとかして意味付けを与えたい。 2、発音練習 発音力を向上させるため、発音のテキストを練習終了。今日で2週目である。隙間時間を使い、漆塗りのようにテキストを練習する。個人練習に備える。

高校生の授業に対する関心事

授業研究、授業づくりの視点について。 1、授業研究英語力をつけさせる授業をしたい。しかし、まずは生徒からの信頼を勝ち取らなければならない。視野の広い、将来を見据えている高校生なら、実用的な英語授業のほうに関心を示す。これまでの私の授業スタイルはそれだった。 しかし日本の教育環境のもとでは、そうでない高校生の方が多い。特に進学校の生徒は、入試問題集を大量の課され、まさに量で圧倒されている。視野を狭めている。その生徒の目先の関心は、残念ながら「定期テストで点を取ること」だ。 本物の英語授業を体験させても、それが定期テストの点数につながらないのであれば、授業はそっぽを向かれる。その定期テストは、構成があらかじめ設定され、自分の意向を反映させる機会は極めてすくない。残念であるが、学校という大きな組織で英語を教えるところの限界である。 そこで、授業のゴールを「定期テストで点数を取らせる」ことに置く。本質でないのはわかっている。だが、まずはそこにこだわって、授業を逆算して構成する。生徒からの信頼を獲得してから、徐々に自分の色を出す。それまでは耐え忍ぶしかない。 そこで過去の定期テストを研究することから開始した。問題を一気に3回分解いてみた。その学校のカラーが見えてくる。教科書の英文を理解できるよう、丁寧に教えること。英問英答でも、日本語訳でも解答できる力を身につけさせること。研究すると、教科書の範囲を120%消化させることが求められている。 静岡大学名誉教授 三浦孝先生の提唱する、オーラルイントロ→精読→内容理解→音読暗唱→日本語訳からの英語への訳し戻し、といった昔ながらの指導法がよい気がする。教科書の完全な理解と、定着までを責任を持つ。 定期テストで点数を取れる、という実感を生徒に持たせてから、授業を徐々に変えていきたい。

アンケート項目

授業アンケートで集計する項目について。 ICTを使っていたOral Introductionと、アナログでは、どちらが理解しやすいか。どちらが楽しいか。どちらがインタラクションが多いか。 授業の中で、どの活動が一番頭をつかう、思考力を問われる活動だったか。 どの活動が楽しかったか。 ライティングノートのメリットは。 もうすぐ授業が終わる。今年度は、授業改善のヒントをもらうという目的で、生徒の感想を集計したい。