その辺に転がってる石と同じ

10年後を思い描く。いまのまま、何も投資することなく日々を過ごしたら、先細っていくことは明らかである。

昨年度は論文を書く機会に恵まれたが、自分の能力の限界もまた思い知った。独学ではせいぜいここまでのレベル。教育実践論文以上のものは書けない。一つ二つ上のレベルに身を置かねば、これ以上の論文積み上げは見込めない。成果を世に問うこともむずかしい。

ではどうするべきか。

金銭的な負担はかかるが、教育への投資を検討している。

先日、大学院のゼミに体験で参加した。高度な内容に言葉を失う。私でやっていけるのであろうか。アカデミックな積み上げがないので、ゼミ生のやり取り自体を理解できなかった。

単に修士号を取るだけが目的でなく、論文を積極的に投稿する、博士号まで目指す、そんなゼミである。要求水準が高い。

参加してみて、自信を失ったという話を妻に話す。するとこう言われた。「有名な恐竜学者のK先生は、長い歴史の流れでみれば、我々も滅びる、失敗してもたいしたことない。三日坊主でもいいから興味あることに挑戦したらいい、っていってたよ。」

さらに付け加えて、「オーストラリアのある民族は、その選択は、魂を磨くものかどうか、を選択基準に置くんだって。」という。

頭が切れるほうではないので、大学院でどこまでやれるのか、わからない。興味はあるのだが、アカデミックな世界が自分にあうのか。エリートばかりの中で、おれは雑草だから。

妻はいう。「あなたは雑草ですらないよ、その辺に転がってる石みたいなもんよ。優秀な人が沢山いるなら、おれ馬鹿だから、って頭を下げて、プライドを捨ててなんでも教えてもらえればいいじゃない。わからないことをわかるようにするため、できないことをできるようにするために学校があるんじゃない。」

話は子供の教育に及ぶ。「もし研究したら、挑戦する姿、何かを突き詰めようとしたことを、子供に伝えることが出来るかもしれない。」

あなたの性格なら、職場でうまく立ち回ろうとしたって無理。好きなことを好き勝手して、外部で論文を書いたり賞を取ったりして、たまたまそれが組織の目にとまっただけ。それなら好きなことをやったほうがいいんじゃない? そう妻は付け加える。

その通りである。私はその辺に転がってる小石と同じである。雑草ですらない、ちっぽけな存在だ。何かを研究し、一隅を照らすような成果を世に問うためには?プライドを捨て、なんでも学ぼうという姿勢を持てるかが、試されている。

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