ドリル型学習より、多読を楽しむ学習を

小学3年生の姪が、「英検5級受かったよ、ありがとう」と連絡してくれた。 ちょうど1ヶ月前、「勉強の仕方がわからない」と、深刻そうに相談してきたので、一緒に対策を考えた。 通っている英会話教室では、小学1年から週二回、グループ会話と文法の授業を受けているという。文法は、単に穴埋めや並び替えのドリル教材ばかりやるそうだ。また幼稚園の時は公文式の英語も習っていた。 しかし、模試では合格点に届かず、4-5割の正答率だ。勉強の仕方を聞くと、驚いた。過去問を開き、自分で解かずに、答えを見て、正解の選択肢に丸をつけたり、答えの単語を書き込んでいるだけだった。 リスニングも全く解いていなかった。そこで、自宅で過去問cdをかけ流すようアドバイスした。とにかくリスニング問題を解いて、と。 それでようやく合格した。ホッと一安心。 「cdの掛け流しをつづけてる?」と聞くと、「試験で疲れちゃって、いま休憩中」という。 ドリル型学習の限界だ。意味重視の楽しいと思える音声に触れないと、英語嫌いになる。と思った。 Meaningful learningは、モチベーションを保つために重要だと。多読多聴学習の良さは、そこにある。 そこで、Oxford Reading Tree のstage1+(韓国のサウンドブックタイプ)を見せて、試しに触らせた。きれいな英語の音声が即座に出るペンがついていて、ORTが音から楽しめる。姪も楽しい、という。 親を説得し、私が韓国からサウンドブックセットを購入することになった。13,4万円程度するが、日本の代理店を経由すると20万は超えてしまう。日本のOxfordで購入すると、音声ペンの性能が落ちる。韓国からの購入が一番よい、ということで、人肌脱ぐことにした。 母親が、「この単語の意味はなに?と娘に聞かれたんだけど、私はわからなくて答えられなかった。日本語訳はないの」と不安そうに聞いてくる。私は、「日本語に訳さず、英語のままに楽しんでほしい。わからないことに対する耐性も、英語力をみにつけるのに必要だよ」と伝えた。 ただ、英語がまったくわからない親と子が、英語のみのORTのサウンドブックに取り組んでも、途中で挫折する可能性がある。英語力のある親が、導いてあげれば、壁も乗り越えられるが。。。。そこで、私の妻が「ORT全部の日本語訳を作ってあげるよ」と、援助を買って出た。安心したようで、「それなら取り組んでみる」と笑顔になった。 身近な子供に、どうしたら本当の英語力を身につけさせられるか。これを真剣に考えることは、将来の英語塾立ち上げにつながるのかもしれない。大手英語学校で行われている、ドリル教材ばかりやって、英語を嫌いになったら元もこもない。小学生のうちは、音声重視。面白い英語の本を、音声を聞きながら楽しむだけでよいのだ。内容に集中し、正確な理解は後回し。そうすれば、ドリル学習をやりすぎて疲弊することもない。楽しみのため、時折声にだしてもよい。 身近な子供に、どうしたら本当の英語力を身につけさせられるか。これを真剣に考えることは、将来の英語塾立ち上げにつながるのかもしれない。大手英語学校で行われている、ドリル教材ばかりやって、英語を嫌いになったら元もこもない。小学生のうちは、音声重視。面白い英語の本を、音声を聞きながら楽しむだけでよいのだ。内容に集中し、正確な理解は後回し。そうすれば、ドリル学習をやりすぎて疲弊することもない。楽しみのため、時折声にだしてもよい。

自分の弱点をさらけ出さずに  人から利益を受けられない。

公文式の教室に子供を連れて行く。その子供が学習中、近所の喫茶店で一服するのが唯一の息抜きである。 4歳の息子は、公文式の教室学習を終えると、近くのベーグル屋さんでお買い物をすることがお気に入りだ。 こんにちは、今日は何のぱんがありますか。 と質問し、私から渡された小銭を、店主へそのまま渡す。 まだお金の概念がわからないが、これは?と聞くと100円、これは1000円と答える。 お釣りをもらい、嬉しそうにお礼を言って退店する。彼にとってお買い物ごっこである。 公文式に通い始めた半年前、3歳半の頃は、数字に興味を示さない、家庭で数字に触れさせて、と先生よりアドバイスをいただいた。 絵本の読み聞かせをゼロ歳大丈夫から続け、日本語への反応が良いから、余計に数字への無関心が目立ったという。 数字へ意識を向けさせることを続け、最近は100まで順唱したり、興味が出てきた。気づきを与えてくれた先生に感謝である。 そこで配られる教室便りに、夏目漱石の言葉が紹介されていた。 「自分の弱点をさらけ出さずに  人から利益を受けられない。 自分の弱点をさらけ出さずに  人に利益を与えられない」(夏目漱石 『断片』より) 教師をしていると、その通りだと思う。行きていく上で自尊心は大切だが、高すぎるプライドは成長の機会を奪う。 相手に何かを教えようとするとき、「伝わったな」と感じる時がある。私の恥ずかしい過去や、泥臭い経験を話し、自己開示したときだ。自分の弱点をさらけ出したとき、相手は心の鎧を脱ぎ、ようやく相手に利益を与えられる。学ぶ態勢、レディネスが高まるのだろうか。 また私がある団体に、自分の授業ビデオを送り、賞へ応募したことがあった。お世辞にもうまい授業ではなく、当然選に漏れたのだが、「変なの送ってきた奴がいる。こいつをなんとか上達させてやらないと、かわいそうだ」と、指導してくださる方が現れた。 授業ビデオを送るということは、自分をまな板の鯉にすることだ。むき出しの自分がさらけ出される。こうした自分の弱点をさらけださずして、改善点を指摘する人は現れない。結局、相手から利益を得られない。 自分の弱点を認識し、つまらないプライドを捨てて、相手にさらけ出す。そうすると、弱点というのは、案外「強み」にもなるのかもしれない。

よい発問のために(2)-幼稚な問いかけから正解を引き出し、より崇高な表現を伝えるということ

http://learningshelf.net/wp-admin/post.php?post=2167&action=editよい発問のために(1) まさに目から鱗。私の教育観をひっくり返すような出来事について書く。 私の授業ビデオを見ていただいたところ、先生からはオーラルイントロダクションは、まったく不十分な出来だと指摘された。「教師がなんとなく英語を使っているだけの、チャラい授業だ」と言われ、自分の授業の浅い本質を見抜かれた。同時に恥ずかしさとくやしさで、頭がいっぱいになった。 「本当のオーラルイントロダクションを教えてあげよう。教えることは芸事である。芸事は、まず真似から始まる。どうせ真似するならさ、しっかり真似しようよ」 この言葉が、耳から離れなかった。こんな厳しい指摘は、所属校でもらうことはできない。校内で研究授業をしても、「いい授業を見せていただいて、勉強になりました」程度の、社交辞令だけのフィードバックしかもらえないので、より一層驚いたのだ。 「学校なんて、組織なんて冷たいもんよ」と、先生はおっしゃる。自分で教授法を磨かねばならない。厳しい指導は、愛情の裏返しだ。また豊富な経験と指導理論なくして、的を得た指摘は行えない。それだけに、経験豊富な先生に、自分の授業を見ていただき、指導していただけることは、千載一遇のチャンスであった。是非とも、本当のオーラルイントロダクションのコツを会得したい、とおもった。 「 指導していただいている方と、オーラルイントロダクションを行うときの考え方について話し合ったときのことである。 生徒へ問いかける場面で、どうすれば相手に響かせることができるか。何も考えず、問いかけても、相手にストンと落ちないのだ。オーラルイントロダクションでは、学習者へ問いかけ、何か反応を引き出したい。その時、簡単な質問が良いか、複雑な質問が良いか。 私の師匠はこういう。「生徒に聞かせる英語は、なるべく短く、複雑でないものがよい」という。いつも「生徒にとって負荷のかからない表現はないかと考えるべきだ」「もっと言えば、生徒にとって幼稚すぎる表現で問いかけるほうがいい。「答えを引き出した後、リキャスト(正しく言い換えること)して、この後は高度な表現を言っても良い。」「学習者はなんとなく理解できる」 私は驚いた。私はつい気の利いた表現や、複雑な文法を使いがちであるが、答えは簡単な方が良いという。だって幼稚な表現で質問されたら、生徒は自分が馬鹿にされている、と感じるのではないか、と思ったからだ。私ならそう思っただろう。そんなことわかってるって、と。 「いや、幼稚な表現の方が、生徒にとって負荷がかからない。ストレスなく質問を理解できる。だからその分、内容に集中できる」と先生はおっしゃる。 私はこの言葉を聞いて頭をがつんと殴られたような衝撃を受けた。問いかけ一つとっても、ここまで考えなければいけなかったのかと。これまで、学習者の思考様式を考えず、無造作に発問していたことに気づかされた。 昔、私が英国の大学院に留学中、ベテラン教師が、初めにsilly questions(馬鹿げた問)をよく投げかけていたのを思い出した。「そんなことわかってる」「ばかにするな」と反発したのを覚えている。しかしこの方が、その後の説明をよく理解できたのも、確かだ。彼女はあえて学習者にとってsillyを思える幼稚な表現で質問していた。学習者から反応を引き出し、高度な表現や内容に切り込んでいたことに、私はいまになって気づいたのである。 この「生徒から情報を引き出したいとき、新情報を問うときは、まず幼稚すぎる表現で質問するほうがいい」とは、どういうことであろうか。しばし考えた。あえて幼稚な表現で問いかけるということは、生徒の理解を促し、適切な表現を身につけさせたいとういう教師側の愛情ではないか。相手のことを考えれば、問いかけ一つとっても、理解しやすいように言葉を慎重に選ぶ配慮が必要なのだ。 あえて幼稚な、シンプルな表現を使って問いかけ、生徒に英語処理の負荷をかけず、内容に集中させてやる。そこから正しい情報を引き出し、より高度な表現を提示して理解させるのだ。 例えば日本語で考えてみるとわかりやすい。(教師)「本田圭佑はいい人、悪い人?」(’生徒)「いい人」(教師)「そう、彼はよいことをカンボジアで行っている。本日は本田圭佑の深淵なる海外事業の取り組みについて理解を深めよう」と、幼稚な問いかけで生徒から正答を引き出し、より高度な表現を伝えると、確かに理解しやすい。聞いたことのないようなかたい表現も、幼稚な問い→正答の引き出し聞いたことのないようなかたい表現も→より高度は表現の提示、の手順で、生徒もなんとなく理解できるであろう。 Is he doing something good or bad? と聞くよりも、 Is he a good person or bad person? と簡単な表現で聞いたほうが、生徒にとっては理解しやすい。 生徒から good という反応を引き出してから、より高度な表現を提示する。 Right, he is a good person. そこから He is doing something great. とか He is making a significant …

Continue reading ‘よい発問のために(2)-幼稚な問いかけから正解を引き出し、より崇高な表現を伝えるということ’ »