無理を承知で(2)

その先生はこんなことをおっしゃった。

「選考した方から、こんな声があったのをはじめに伝えておく。

団体の理念を理解していない。

発音に難がある。

生徒に関心がないように見える、

目的のない机間巡視、冷たい印象がある。

不必要な英語の発話が多い。

生徒の英語の発話が少ない。

のっぺりとした英語である。

表情がない。表面的なオールイングリッシュの授業である。

生徒の思考力を高める発問がない。」

もう味噌くそである。即興で英語の授業をすると、自分の弱点が噴出してしまっている。そして私の授業の底の浅さをみぬかれている。「こんなところ、こなければよかったぁ」と嫌な汗が背中を流れる。

「だが、こんな声もあった。この人、落選だね、となったとき、それでおわらせていいかな、と。なんかもったいなくない?と。

なぜかわからないが、生徒が教師の指示に従っていて、生徒の動きがよい。楽しそうだ。一定の英語力があり、団体の理念や英語教授法の基礎を理解して取り入れたら、化ける可能性のある教師である。ひょっとしたら、団体を代表して公開授業を行えるのに最も近い教師かもしれない」

え、意外な評価に驚く。

その団体の公開授業者は、すべてその道の名人級の教師が行うことで有名である。私もいちど参加したが、「こんな授業できたら楽しいだろうな」とあこがれたものであった。ちなみにその授業者の彼は、各方面で五臓六腑の活躍を続けている。

あれほどぼろくそに指摘されているのに、「公開授業を行えるのに最も近い教師かもしれない」という評価は、どこで判断されたのであろうか。けなされているのか、褒められているのか、わけがわからない。

つづいて、自分の授業のDVDを見ながら、ばっさりばっさりと指摘される。恥ずかしいし、もう疲れ果てしまう。自分の英語を、DVDで見る、しかも英語業界の有名人と。顔から火がでそうである。

自分の英語が上ずっているのを目にして、これも恥ずかしい。もっと落ち着いてはなさないと。。。と、恥ずかしさは頂点に達する。

「生徒の良さばかりが引き立つ授業だ。教師があんなにひどいのに(笑)」とまで指摘される。

授業改善は半年、発音は1年で治すつもりはあるか、と問われる。育児や研究、仕事も忙しいが、とりあえず、ハイと答える。

まずはオーラルイントロダクションを改善することを指示された。

1、生徒に使えるようになってほしい、アウトプットのゴールとしての英文を書き出す。

2、それを導くためのオーラルイントロダクションを書き出す。発問を多くとりいれる。Wh-, Yes or No, A or Bの3つのタイプの質問を入れ、気まずい沈黙の後にいれ、思考を促させるように。

3、オーラルイントロダクションでカバーできない部分の説明を、1文ずつ書き出す。

以上である。

授業改善は半年、発音は1年を目標と設定された。

週があけても、この日のことが頭からはなれない。恥ずかしさと情けなさばかりが頭を駆け回る。どうやったら「思考力をはぐくむ授業」なんてできるのだろう。こんちくしょう、頼まれたって公開授業なんかしてやるものか、、、とうめき声をあげる私。。

妻は見かねて、こんなことをいう。

「悔しいのはわかるけど、私は、あなたが公開授業の舞台に立つべきだと思う」

「指導技術は、一流の教師について、一定期間徹底的に磨かないと身につかない。いま名を成している教員も、みなどこかで名人について修行している。そうでなければ、独りよがりになる。だから賞とか公開授業とか、自分のためにするのではない。生徒のことを考えたら。指導技術を磨くことで目の前の生徒がメリットを得られるのだから。」

はっとさせられ、そうだ、目の前の生徒のために、指導技術を磨こうと思った。恥をかいて、ひとは初めて成長するのかもしれません。