無職になったときに自分を支えてくれるもの

会社を辞めて英国の大学院に留学し、MBAを取得したあと、あるベンチャー企業の経営企画職に就いた。会社の財務全般を管理する重要な仕事であった。 給料もよく、経理の経験を積めるとおもい、100人程度の企業で、社長の右腕として仕事を始めた。 仕事は刺激的で、学びも多かったが、英語教師になりたいという思いは募るばかり。通信制大学に入り、働きながら教員免許を取ることを目指した。 教育実習で3週間会社を休まなければならない。これは会社に認められるはずもないので、教員免許取得前に会社を退職した。つまり、ある期間、妻も子供もいるのにもかかわらず、無職の時期を過ごしたのである。 退職すると、自分は社会的には何物でもないことを嫌でも気づかされる。肩書もなく、収入もない。無力な存在である。自尊心もずたずたになる。この時の経験は忘れなれない。自分を語る肩書、資格を持たなければならないと思った。 教員になったあとも、仕事を辞めた後のことを常に考えていた。私は○○です、といえる何かを得たい。その一つが、全国通訳案内士であった。 国家資格であり、名刺にも記載できる。マイナー資格とはいえ、実力と経験があれば、少なくともお金は稼げる。役に立つかはわからないが、少なくとも自分の専門である英語力の証明にはなる。自分の精神定のためにも、取得したいと思って取ったのである。 仕事をやめて無職になったとき、自分を支えてくれるものは、「私は○○です」と胸を張って言える肩書である。無職を経験したことのある私は、これをもっているかいないかが、大変重要だと痛感している。 なんでもいい、自分を語ってくれる資格を取ることが、精神的に自分を支えてくれる。

無理を承知で(2)

その先生はこんなことをおっしゃった。 「選考した方から、こんな声があったのをはじめに伝えておく。 団体の理念を理解していない。 授業の開始は、前回の復習をすべき。当該箇所の音読がよい。 発音に難がある。 生徒に関心がないように見える、立ち止まり、生徒の英語に耳を傾けること。 目的のない机間巡視、冷たい印象がある。 不必要な英語の発話が多い。生徒が聞いていないのに、話す必要はない。 生徒の英語の発話が少ない。 のっぺりとした英語である。子音に気をつける。 表情がない。教師は表情豊かな百面相であるべき。教師は演技をするべきである。演技をすることで、生徒の視線が集まる。 表面的なオールイングリッシュの授業である。思考力を鍛える発問、やり取りがない。 板書は題材と関連したものを。 一方的に英語で説明しているだけで、インタラクションがない。質問していても、意図が不明確。 生徒に問いかけ、思考力をはぐくむ発問を目指すこと:生徒の思考力を高める発問がない。思考力を高めるには、生徒の思考の流れに沿って、質問しながら理解を深めさせることが必要だ。 あなたはembarrassing silence 気まずい沈黙を意図せずしてたくさん作り出してる。緊張感が生まれるので、それ自体は良いものだが、適切な援助がないと、生徒は答えづらい。 生徒の答えを引き出すため、3種類の質問を使いこなせ。1つはWh-questions. why?5w1h。2つ目はA or B。選択肢を提示して選ばせる。3つ目はYes、no questions. これを混ぜながら、生徒の思考の流れに沿って発問をし、答えを引き出す。 教師の問いかけに反応してくれた生徒への対応:生徒の回答、反応は宝である。大いに褒め、正しい英語で言い換える、つまりrecastしてやる。どんな英語も受け止めて、正しい英語にしてくれると感じさせることが、教師への信頼感になる。 アナログの勧め:生徒を見ていない。ICT使用を一度やめて、アナログで授業をしてみること。インタラクションが増える。生徒の反応が変わる。 授業がチャラい。深みがない。 タメのタイミング:ためがない。発話の時は、だらだら話さない。ためを作る。旧情報から新情報を提示するときは、ちょいとタメをつくる。新情報を出すときにタメを作る、ということは、英語教育では誰も論じない。しかし他の領域、例えばお笑いの世界では当たり前のことである。ためたところで、みなの顔が上がるぐらいでないといけない。あなたの授業は、ポンポンポンと英語を話しているだけ。 生徒に発話できるようになってほしい項目を書き出し、そこへ導くようなオーラルインタラクションを作ること。 もう味噌くそである。即興で英語の授業をすると、自分の弱点が噴出してしまっている。そして私の授業の底の浅さをみぬかれている。「こんなところ、こなければよかったぁ」と嫌な汗が背中を流れる。 「だが、こんな声もあった。この人、落選だね、となったとき、それでおわらせていいかな、と。なんかもったいなくない?と。 なぜかわからないが、生徒が教師の指示に従っていて、生徒の動きがよい。楽しそうだ。一定の英語力があり、団体の理念や英語教授法の基礎を理解して取り入れたら、化ける可能性のある教師である。ひょっとしたら、団体を代表して公開授業を行えるのに最も近い教師かもしれない」 え、意外な評価に驚く。 その団体の公開授業者は、すべてその道の名人級の教師が行うことで有名である。私もいちど参加したが、「こんな授業できたら楽しいだろうな」とあこがれたものであった。ちなみにその授業者の彼は、各方面で五臓六腑の活躍を続けている。 あれほどぼろくそに指摘されているのに、「公開授業を行えるのに最も近い教師かもしれない」という評価は、どこで判断されたのであろうか。けなされているのか、褒められているのか、わけがわからない。 つづいて、自分の授業のDVDを見ながら、ばっさりばっさりと指摘される。恥ずかしいし、もう疲れ果てしまう。自分の英語を、DVDで見る、しかも英語業界の有名人と。顔から火がでそうである。 自分の英語が上ずっているのを目にして、これも恥ずかしい。もっと落ち着いてはなさないと。。。と、恥ずかしさは頂点に達する。 「生徒の良さばかりが引き立つ授業だ。教師があんなにひどいのに(笑)」とまで指摘される。 授業改善は半年、発音は1年で治すつもりはあるか、と問われる。育児や研究、仕事も忙しいが、とりあえず、ハイと答える。 まずはオーラルイントロダクションを改善することを指示された。 1、生徒に使えるようになってほしい、アウトプットのゴールとしての英文を書き出す。 2、それを導くためのオーラルイントロダクションを書き出す。発問を多くとりいれる。Wh-, Yes or No, A or Bの3つのタイプの質問を入れ、気まずい沈黙の後にいれ、思考を促させるように。 3、オーラルイントロダクションでカバーできない部分の説明を、1文ずつ書き出す。 以上である。 授業改善は半年、発音は1年を目標と設定された。 週があけても、この日のことが頭からはなれない。恥ずかしさと情けなさばかりが頭を駆け回る。どうやったら「思考力をはぐくむ授業」なんてできるのだろう。こんちくしょう、頼まれたって公開授業なんかしてやるものか、、、とうめき声をあげる私。。 妻は見かねて、こんなことをいう。 「悔しいのはわかるけど、私は、あなたが公開授業の舞台に立つべきだと思う」 「指導技術は、一流の教師について、一定期間徹底的に磨かないと身につかない。いま名を成している教員も、みなどこかで名人について修行している。そうでなければ、独りよがりになる。だから賞とか公開授業とか、自分のためにするのではない。生徒のことを考えたら。指導技術を磨くことで目の前の生徒がメリットを得られるのだから。」 …

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無理を承知で(1)

自分の授業実践をDVDに撮影し、ある団体が主催している賞に応募した。教歴の浅い教員でも応募でき、その団体の指導法をある程度踏まえたものがのぞましい、という基準が設けられている。 もともとその団体の指導方法に刺激を受け、とくにオーラルイントロダクションという英語での内容説明の導入活動を授業に取り入れてきたので、腕試しにと応募してみたのだ。 残念ながら、というか、あたりまえというか、選考者の支持は得られなかった。 忙しい中、授業撮影の準備をし、指導案や説明をせっせと書いたことが懐かしい。協力してくれた生徒にも、この結果は申し訳ない。私の授業者としてのレベルがまだまだ低いことが第一の理由であろう。 妻に「受賞はできなかったよ」と話すと、「そもそも応募した時点で、無理って言ったじゃない。応募したのが間違い。あなたの授業はその団体の主流ではないし、組織内の活動もしてないじゃない。選考者は誰もあなたの授業なんか推してくれないわよ」という。その通りである。無理を承知で応募して、勝手に落ち込む私は、自業自得である。欲をかいてはいけない、期待などしてはいけない。 団体の重鎮から認められなくとも、目の前の生徒が楽しそうに英語を使って授業を受けてくれるなら、それのほうが価値がある。もっと追求することが正なのだ。そう自分を正当化するしかない、と思っていた。 一方で、この賞に応募するのは今回が最後である。きっとひどい授業だと思われたのだろうな、、、 選考してくれた方からメールが届き、「あなたの授業は基本がなっていないので、選考基準を全く満たさなかったが、一方で将来性を高く評価する声もあった。いちど会いにこないか」と書かれていた。 見ず知らずの「偉い方々」に授業を送り、結果は当然のように落選、相手にされるはずはないと思っていたので、驚いた。 なんとも恥ずかしいので、どうしようかと迷っていると、妻は「こういうオファーには乗ったほうがいい。授業DVDを送った時点で恥ずかしいんだから、お会いして改善点を教えてもらったほうがいい」という。 こわごわ、その先生の学校を訪ねることにした。。。

息子にかこさとしさんの『水とはなんじゃ』を買った。妻の勧めである。 水の役割や性質を、地球規模の視点から描き、なぜ水が私たちにとって大切なのかが、4歳の子供にも伝わるように易しく書かれている。 実際、息子は毎晩読んでとせがんでいる。 こんな本を子供の時に読んだら、理科が好きになったのに、と妻はかこさとしさんへの尊敬を込めて言う。 かこさとしさんは、東大工学部を卒業し、大学院で博士号を取得した後、企業に就職し、その後絵本作家に転身した異色の経歴を持つ。 彼の絵本を10冊ー15冊は読み聞かせたであろうか、大人のわたし達にも気づきがある。子供は夢中になる知識を得るだけでなく、自然や科学、文化にも関心を持つようになっている。驚くべき絵本だ。 これは、理系博士号を持つ知性ある人が、100知っていることを噛み砕き、10ぐらいに圧縮して絵本にしているからであろう。 こうした本を出すこと自体、社会に価値を提供している。あなたもこのぐらいを目指さないと、と妻はわたしをからかう。わたしは苦笑いするばかりである。

プロジェクト

もう一度大学院に行くことをぼんやりと考え始めている。 これはある賞に入選したことがきっかけである。自分の研究テーマが第三者に評価されたという驚きと、少しの自信を得た。ひょっとしたら、これは研究を深める価値があるのかもしれない、と。 毎日、自分の設定したテーマで授業を行っているのだが、うまくいくときもあれば、失敗し落ち込むときもある。自分の仮説が揺らぐ瞬間はつらい。ただ、研究テーマをもって教壇に立つことは、なんと幸せなことかと感じるのも確かである。 今年いっぱいは、現在作成中の論文を完成させることで手一杯。日本語の論文を書くことは、英語学習の時間を削られることと同じなので、ストレスがたまる。どうせなら、英語で研究したい。それなら、もう一度海外の大学院でまなんでもよいのではないか。TESOLか応用言語学の分野である。 家族のことや、金銭面など、考えなければならない要素は多い。 PhDを取りに行く3年間、子供たちに海外経験をさせてやりたい。そのための布石をどう打つべきか。そのあとの生活をどう安定させるか。悩ましいところである。 妻に相談すると、「つべこべ言ってないで、まず来年3月までにもとめられている研究論文書き上げなさいよ、 それが終わってから行きたいなら大学院準備でしょ。」と突き放される。 そこで優先順位を整理する。 1、研究論文の完成、提出 2020年3月末まで 2、大学院出願準備 (日本国内を優先。万が一に備えて海外も出願)2020年6月まで 3、大学院修士進学 2021年4月~2023年3月 4、在学中に修士論文に関連した論文2本を投稿する。 5、PhD留学準備 2022年4月より まずは1の実践研究論文を仕上げることである。研究実績になるので、今後のキャリアに確実に生かせる。とにかく時間と労力を、ここに投入しなければならない。 倍率も高く、合格はまったく現実的ではないが、フルブライト大学院奨学金に応募することは、それ自体が書類作成や試験のスコアメイクの動機にもなり、結局は大学院進学の準備にもなる。 アメリカの大学はあまり興味がないのであるが、奨学金応募用に1,2校は準備してみたい。 留学せずに言語系の修士を取るのであれば、日本のテンプル大学 Tesolや、上智大学のTesolなどもあり得るかもしれない。仕事や家族へのインパクトを抑えるには、現実的な選択肢である。 ただ、英国留学中にあこがれた、University of York(UK)でtesolかApplied linguisticsでMasterから学び、PhDへ進みたいとも思う。 留学後のキャリアも、なんの保証もないため、リスクが大きい。英語を教える仕事を続けるか、それとも別の仕事か。英語力を出来るだけ磨いて、全国通訳案内士の資格を使って独立事業者として生計を立てる、ということは、やってみたい仕事の一つでもある。