13 通訳案内士の勉強をしてよかったこと1 資本を築ける

 私が全国通訳案内士試験の勉強に費やした期間は、約1年半である。フルタイムの仕事を抱えながら勉強時間を確保するためは、通勤時間を利用する以外に選択肢はなかった。自宅から職場までの往復に3時間以上かかるので、その時間を勉強時間にあてたのである。資格の勉強をしてよかったことが、大きく3つある。「資本を築けたこと」「英語力が伸びたこと」「複眼的視点が持てたこと」である。

 まず、通訳案内士を勉強してよかったことの1つ目は、さまざなま「資本」を自分の中につくることができた点だ。なかでも経済的な視点からの「人的資本」を高められた。人的資本とは、経済学の概念である。教育を受けることによって、個人に新たに身につく知識やスキルのことである。人的資本が蓄積されることで、労働者としての市場価値も高まり、結果として将来受け取る給与も増える。あるファイナンス論の教科書に「経済学者は、将来の給与の現在価値のことを人的資本(human capital)と呼ぶ」(ツヴィ・ボディ、ロバート・C・マートン「現代ファイナンス論」大前恵一朗訳、ピアソン・エデュケーション、p190)と書かれている。

この人的資本には有形無形のもので構成されるが、一つの具体的な例は、資格の取得が挙げられよう。資格とは、一定の能力を証明するものであり、一般的にエンプロイアビリティ(企業から雇用される可能性)や、ビジネス機会を高めるからだ。

日本国内にはさまざまな資格が存在しているが、その中でも国家資格の価値は高い。国家資格とは 「国の法律に基づいて、各種分野における個人の能力、知識が判定され、特定の職業に従事すると証明される資格」である。「法律によって一定の社会的地位が保証されるので、社会からの信頼性は高い」(文部科学省 国家資格の概要について)と明記されており、国家資格取得者は「一定の能力がある」ことを第三者に客観的に示すことができる。

この全国通訳案内士試験は、言語系で唯一の国家資格だ。合格するためには、実用英語検定1級程度の英語力と、日本の地理・歴史・一般常識・通訳案内実務知識の専門知識が求められる。つまり他者に語学力と日本的事象の知識を持っていると伝える、「シグナリング効果」があるのだ。

組織の中で働いている私は、この資格を取得したことで、直接給与が上がるわけではない。しかし仕事の専門性が深まり、業務の質が向上したことは体感できた。資格対策で学んだ知識を、英語の授業に取り入れ、生徒(顧客)の好意的な反応を引き出せたのだ。また、国家資格を取得したということで、将来的には副業や創業に挑戦することもできるだろう。

蓄積できたもう一つの「資本」は、「文化的資本」である。「文化的資本」とは、社会学における学術用語(概念)の一つであり、金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を指す。フランスの社会学者ピエール・ブルデューによって提唱された概念だ。この「文化的資本」、特に日本文化の幅広い知識を身に着けることができた。

例えば試験科目である「日本歴史」「日本地理」「一般常識(政治・経済・文化)」などの知識が大幅に強化された。試験勉強のためにこれらの基礎知識から学び直し、日本社会の仕組みや文化について体系的な知識が身についた。また「英語」の試験では、観光、政治、歴史、行事、食事など日本事象が幅広く問われる。日本の伝統文化などにも興味がわき、多くの関連書籍を読む習慣も身についたのだ。

 試験を勉強して、家庭的な側面からも、「文化資本」を蓄積することが出来た。日本の観光・地理・歴史や伝統文化などに興味がわき、家庭内の話題も自然と幅広くなったのだ。例えば節分や恵方巻など、日本の伝統文化について話し合ったり、通訳ガイドの視点から観光資源的に優れた場所を、家族旅行先に検討するようになった。家の中は日本地図や観光ガイド集で溢れ、子供も自然と地理感覚を持つようになったのだ。家庭の蔵書内容も、日本語と英語ともに増えた。試験勉強で関心を持った日本文化について、本や雑誌を購入する習慣がついたからだ。多様な蔵書も、家庭の文化資本を図る指標となる。家族が自然と本を手にし始め、知らず知らずに家族内で日本的事象の知識が共有されている。

3番目は、これまで以上に、スムーズに外国人とコミュニケーションを取れるようになったことだ。それは英語を話すためのネタや材料となる「尽きせぬ資本」を手に入れられたためだ。ここでいう「尽きせぬ資本」とは、日本的事象の知識である。これは、私が英語を話す相手=外国人が興味を持ち、身を乗り出して聞きたくなる知識である。例えば日本の食事の話や、伝統行事の話などだ。日本的事象を体系的に学んだあとは、雪だるまのように知識を増やしていくことができる。こうした武器があると、ちょっとしたコミュニケーションの時に役立つ。このネタとしての「資本」を持っていれば、あとは会話の時、英語に変換すればよいわけだ。

そもそも外国人と英語を話すためには、相手に伝えたい題材が必要だ。そしてその題材は、相手にとって「聞くに値する内容」でなければならない。その点、「日本的事象」とは日本社会や文化の知識であり、訪日外国人には疑問や興味のある話題である。英語の語学学校であれば、自己紹介や自分の趣味など、自分の話したいことを話しても、興味深そうな態度で聞いてくれる外国人講師はいるだろう。しかし現実の世界であると、それだけの内容ではネイティブに相手にされないだろう。  日本的事象の体系的知識を増強させながら、それをタネとして外国人が関心を持ってくれる英語を話す。そして英語を使いながら、英語力自体も流暢になっていく。このサイクルが大切なのだ。この日本的事象の知識は、学び続けることで使いつくせないほどの「話のタネ」、つまり「資本」となる。ゲーテは「重要なことは、決して使いつくせないような資本を築け」と言った。全国通訳案内士試験を学ぶと、この「使いつくせない資本」を作ることができるのだ。