ある研究会にて

先日、ある英語授業の研究会にはじめて参加しました。
中学高校の現場で、実際に英語を教えている教員が集まっていました。

自ら授業を公開し、問題点を掘り下げたいと希望した教師が、通常の自分の授業を録画して持参し、その研究会の場で見せるのです。

今回発表された教師は、中学校1年生を指導している方で、まだ経験が浅く2年目とのことでした。
「中学校の英語はオールイングリッシュで教える」ことが、学習指導要領で明記されていますが、まさにこの方も英語で授業を行っていました。

映像を用いると、授業の臨場感が伝わり、今学校教育の現場で何が起こっているのか、非常によくわかるため大変面白いと思い試みです。

この授業研究会での公開授業を見て、率直に大きなショックを受けました。
オールイングリッシュの授業は、確かに私が中学校で受けた英語授業とは、良い意味でも悪い意味でも様変わりしています。
多忙な中で授業を行っている教師の方には、その努力に敬意を評したいと思います。

しかしそこには、教員が必死になって授業を英語で行うことに固執しすぎて、それについていけず困惑する生徒が映し出されていました。

一方で、「これでは英語学習に希望をもって入学した生徒が、かわいそうだ」と率直に思いました。

授業の構成も、たくさんのアクティビティーが導入されていましたが、それぞれのつながりに明確な意図がないため、聴衆からの「なぜここでこの活動をいれたのですか」という問いに、教師も明確な説明ができません。生徒のどの英語力を高めようとしているのか、はっきりと見えませんでした。

また英語教授法もさることながら、英語教員のスピーキング力も、改善の余地を感じました。

自分なりに、どうしたらいいのだろうかと考えました。
突き詰めてみると、こんな考えが頭をよぎります。

当たり前のことだが、結局、英語教員が備えている英語力以上に、生徒の英語力を高めることは出来ないのではないのだろうか。
自分が英語を使うことを楽しんでいないのならば、どうして生徒に英語を使うことの楽しさを感化できるのだろうか。

英語力向上は、単に小中高校生だけでなく、英語教育のスペシャリストたる英語教員にも、例外無く必要なのだと、実感した研究会でした。

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