「うぉ」という反応

勤務校は授業進度が早い。こなすべき課題も多い。自分のスタイルを捨てることを決めた。今年はオールイングリッシュで授業するよりも、英文の確実な内容理解を優先した方がいいと思い、ICTで英文を提示しながら、応答を交えて英文を説明する、という授業を行っている。

内容理解度は上がる。だがこれは言語教育なのだろうか、と自問自答する。教室内の空気は重い。

授業進度に余裕が出た時、教科書の内容を再話する活動を行った。本当は教師側が手本を見せるのが先だが、まず生徒にやらせてみた。能力が高いのをわかっているためである。

結構苦労しているようなので、即興で私自身がやってみせた。指導手順としてはいけないのであるが。

応答を交えたオーラルイントロダクションのようなものである。時間は1~2分程度。長々と話しても仕方ない。戦国時代、足軽が大群の前でやりをつつき、さっと退却するようなイメージである。それでも、終わった後に教室から「うぉ」と声が複数からあがる。

私自身が一番驚いた。目の前の学習者は、英語を大学入試のツールとしか認識していない、と思っていた。私の説明にも無反応なので、英語に関心はないのでは、とすら思っていた。

でも心の底では、英語を操れるようになりたいと思っている。わかりやすい英語で情熱をこめて話す姿を見れば、それに反応する。七転八倒して英語を学んできた私の姿を、生徒にさらす。憧れの対象か、それとも乗り越えたい憎悪の目標か。どちらにしても、学習者にロールモデルを提示し、同意、疑問、反発でもいい、何らかのポジティブな化学反応を教室内で起こすことが、教育には必要なのだろう。

おちついたら、英語で授業する比率を高めようかな、と思い直した一日であった。

生徒を引き付ける実践力を持ちつつ、理論も研究もできる。生徒を動機付け、憧れ、羨望、嫉妬の対象になり、「あいつができるなら、おれだってできる。乗り越えてやる」と思わせるような、ロールモデルとしての英語教師になりたい、と改めて思う。

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