昔ながらの学習法、暗誦に再び脚光が

古典の重要性はわかっていても、取っ付きづらいから手にとることはない。
そんな方は多いのではないでしょうか。

そんな中でも、私は中学や高校の古典授業時に、無理矢理先生に暗唱させられた、方丈記の冒頭部分を未だにそらんじることができます。これが古典アレルギーを薄め、未だに古典を読むことがおおいのです。これは当時の先生のおかげです。

残念ながら近年は、ゆとり教育の導入で、古文や百人一首の暗唱など生徒に負荷をかける教育はすたれていきました。生徒が古典の名文を暗唱で血肉化するという、日本教育の良き伝統は断絶したのです。

しかし、最近は暗唱の良さが見直されてきました。
今日の日経新聞夕刊で、小中学校の現場で、暗誦が取り入れられ始めたという記事がのっていました。

東京杉並区の区立天沼中学校では、「言霊百選」と題した暗唱文集を学校独自で編纂し、生徒に暗唱させているそうです。

論語、枕草子、源氏物語などから日本国憲法全文まで計99点。
1文を暗唱できた生徒は、教師から「合格」の判がもらえる。このシンプルな仕組みが、生徒のやる気を引き出しているそうです。

同記事で、横浜国立大の高木まさき教授(国語教育)は、
「言葉を使って学ぶ学問の根本は国語教育にある」
「暗唱を使って幼いころから自然に語彙をみにつければ、その後の学習を進める上での基盤もできる」とコメントされています。

暗唱は昔ながらの学習法です。
江戸時代の寺子屋では、素読という教授法が使われていました。
文字が読めない幼児が、寺子屋の塾長が読む論語を耳で聞き、文字を見ながら見よう見まねで読むのです。
理解しようがしまいが、関係ない。ただひたすら、素読するのです。

「高度な内容は、そもそも始めから理解できないものである。まずは体で覚えてしまい、いずれ理解できる日を待つ」という、即効性とは対極の、おおよそ非科学的な学習法です。

しかし、こうした目先の即効性を求めない、昔ながらの素読、暗唱という学習法が、現代に脚光を浴びつつあるというのはおもしろいですね。

現在私が構想を練っている英語塾では、英国で使われている実践的なトレーニング方法に、日本古来の素読暗唱のメソッドを取り入れてみたいと思っています。

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