留学決断に至る過程

「あの時は大変だった」と自分の苦難を客観的に語れる時、その人はそれを乗り越えたとき。

留学前、仕事と会計の勉強のし過ぎで
様々な無理がたたり、大きく体調を崩しました。
騙し騙し日々を過ごし、ヨガで養生を重ね、1年かけて漸く体調は回復してきました。

自分の不摂生が招いた災禍であり、うしなったものも多かったのですが、逆に得たこともありました。

自分の心の奥底の願望に気づいたことです。

外資の給料は日本企業よりよいので、余剰資金を留学資金としてコツコツため、
株式投資も勉強して、資金は1500万円ぐらいになっていました。

しかし、体調がおかしくなり、とても海外留学、しかも大学院留学などできるわけない。
留学したかったのに、健康を害したら元も子もない。

将来年を取って、「あのときイギリスに大学院留学したかったな」
と愚痴つづける自分の姿が目に浮かび、
「それだけは避けたい。目先の利益、つまり安定した職は捨てても、チャレンジしたい。それで失敗したら、後悔しない」。

そう思い、高給の禄をえていた外資を退職し、すべてを捨てて大学院留学しました。

健康を害して死を意識したとき、繰り返し頭に浮かんだのは、森信三先生の『修身教授録』の内容でした。

「教育者は、自身を一個の捨石として、教育のために身を投げ出す覚悟が必要である」

と、若い学生に覚悟を問うていた森先生の教授録が思い出されたのです。

これに関連して頭に浮かんだのは、中学校時代の野球部の先生でした。

土日なしで、部活に対して情熱を傾けてくれた先生です。

部員たちに対して本気で向き合ってくれた人だったからでしょうか。

その時ふと、「そういえば中学校のとき、地理の先生になりたかったな。先生に話したら、君はいい先生になるよと言われたな」と思い出しました。

このような経験の意味はなんなのでしょうか。

細川護煕氏の「私の履歴書」の中のでの、父親と西田幾太郎とのエピソードに出会い、自分なりの答えを出すことが出来ました。

・・・父が漢文や和歌などの素読を子供たちに叩き込もうとしたのは、京都大学時代の恩師である哲学者、西田幾太郎先生の影響が大きかったようだ。

西田先生はある時父に「君は生死の関頭に立った時に何を思うか」と尋ねられた。

父は「まだそのような経験をしたことがないのでわかりませんが、先生は何を思われますか」

と逆に質問したところ、先生は

「子供のころに暗唱した古典だ。昔の人は4,5歳の時から『子のたまわく』と古典を暗唱したものだ。
その時に意味はわかりっこないが、しかい、それが生死の関頭に立った時にふっと頭に浮かぶのだ。そこで人間が開ける。子供には是非素読をさせろ。それが本当の教育というものだ」

と言われたそうだ。

大げさに思われるかもしれませんが、私も「死の関頭」に立った時、教育者の素晴らしさが頭に浮かんだのです。
そこにはビジネスでのお金も地位も、名声も、何も求めていなかった自分がいたのです。

社会人になって大半の時間を費やしたビジネス経験や、会計の勉強などについては一切頭に浮かばなかったのです。

そこで妻に(当時の彼女に)、「夢だったMBA留学か、教職大学院か、会計大学院か、いろいろと迷ってる」
と相談すると、彼女はこう言い放ちました。

「一番危険な道を進んだほうがいいよ」

彼女の意図はわかりませんでしたが、覚悟を問われてることだけはわかりました。
このことばに衝撃を受け、結局私は、一番見通しが立たなかった、MBA留学を決断しました。

そして身を捨てて、英国のMBAに進みました。
将来、英語に苦労している日本人を助けるために、英語塾を作りたい。そんなエッセーを書いて、合格をもらったのです。

コメント

  1. 幾つかの記事を読ませていただき、英語勉強の新たな方法や古き良き方法を学ばせていただきました。
    それと同時に、筆者様の熱い英語教育への情熱を感じ取らさせていただきました。
    私はまだ学生で留学したいという思いもあるのですが、筆記も会話(特に深い会話やビジネスな話)も、実績も自信のなく、現在コツコツと勉強している次第です。
    筆者様が想う英語塾ができたら、ぜひ覗かせていただきたいと思いますので、そのときまで楽しみにさせていただきます。

    • コメントありがとうございます。牛の歩みですが、コツコツと努力していつの日か理想の塾を実現させたいとおもいます。留学をご希望というお話ですが、すばらしいですね。将来実現されることを心よりお祈りしています!

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